よみがえる天才5 コペルニクス
動画で紹介!
コペルニクスとは
コペルニクス、本名ニコラウス・コペルニクスはルネサンス時代に地動説を唱えたことで有名な人物です!
天文学史上最も重要な発見をしたコペルニクスさんですが、実は天文学者ではなく、聖職者だったとか!医学、法学、天文学など、当時最高の学問以外にも、経済学、外交、絵画、財政、軍事などにも精通し、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと同様の万能人だったと推測されます。
さらにその力は経済学にも精通し、「悪貨は良貨を駆逐する」 ことに最初に気づいた人物としても知られています。
※天文学者で生計を立てていたわけではない。
※この絵はコペルニクスの自画像の模写らしい
コペルニクス年表
年 | 歳 | 出来事 |
---|---|---|
1473年2月19日 | 0歳 | ポーランドのトルンに生まれる |
1483年 | 10歳 | 父を亡くし、母方の叔父のところへ![]() 母方の叔父ルーカス |
1491年 | 18歳 | クラクフ大学に入学(天文学の最高峰) |
1495年 | 22歳 | クラクフ大学終了(学位未取得) 律修司祭の職につく |
1496年 | 23歳 | ボローニャ大学に留学(法学の最高峰) |
1500年 | 27歳 | ボローニャ大学終了 |
1501年 | 28歳 | パドヴァ大学に入学(医学の最高峰) |
1503年 | 30歳 | フェラーラ大学で教会法博士を取得 |
1510年頃 | 37歳頃 | 太陽中心説の草案 「コメンタリオルス」を執筆 |
1511年 | 38歳 | 聖堂参事会の尚書に選ばれる |
1517年 | 44歳 | 「悪貨は良貨を駆逐する」の論文を執筆 |
1529年 | 56歳 | 地動説をまとめ始める(出版の意思なし) |
1533年 | 60歳 | 教皇クレメンス7世に地動説が知られるがお咎めなし |
1542年 | 69歳 | 地動説「天球の回転について」の草案ができる |
1542年11月 | 69歳 | 脳梗塞で半身不随いなる |
1543年5月24日 | 70歳 | 「天球の回転について」の本が届く当日に他界 |
コペルニクス的転回
「コペルニクス的転回」は哲学者のイマヌエル・カントが作った言葉で、物事の見方が180度変わってしまう事や発想法を根本的に変えることによって、物事の新しい局面が切り開かれることをいう事を意味しています。
例えば、時間は一定ではない。空間は曲がる。大陸は動く。地球は凍ったことがある。など科学のパラダイム・シフトでよく使われます。
実際に使う機会は少ないですが、使えたときはめちゃめちゃかっこいいので覚えて起きましょう。
天動説と地動説
天動説とは
天動説は地球中心説とも言われていて、「宇宙の中心は地球で、地球以外の星は地球の周りを円軌道で動いている」っていう説ですね。で、この地球中心説なんですが、バージョン(Ver.)があるんですね!このバージョンアップに関わったのがアポロニウス、ヒッパルコス、クラウディオス・プトレマイオスと言われています。特にプトレマイオスの書「アルマゲスト」は有名ですね!
なんでVer.があるかっていうと、理想と現実を一致させるために、いろいろと替える必要があったんですよ。
発端は「常識」と「宗教」ですね。日常生活だけで考えると自分は動かずに太陽や星が回っているように見えるっていう常識と、円は真理を表しているそして宇宙は真理で綴られているという考えを合わせた天動説が昔っからあったんですね。
で、人の知識が蓄積されてくると「星の軌道を計算できる」ようになったんですね。
すると星を観測するプロが出てくるんですね。毎日毎日星を観測していると、「あれ?式と実際が合わなくない?」ってなってくるんですよ。
特に「惑星」と言われる星が問題だったんですね。星が地球の周りを動いているのであれば、動く方向はすべて一緒のはずなんですが、なんと逆走する星がでてきたんですね!「ええええええ〜〜〜」ってなるわけですよ。かなり昔はそんなに星を観測しないので気づかなかったんですが、星を観測するプロが現れたことで状況が変わったんですよね。
じゃあ、ちょっと天動説をいじろっか!ということで、ちVer.アップするんですよ!
内容は円軌道の上に更に円軌道を乗せるっていう、一見わかりづらいんですが理にかなった方法で惑星の奇妙な動きを解決します。
このときの天動説は「宇宙の中心は地球、地球の周りを円軌道で星は周っているけど、一部違うのもある」っていうニュアンスですね。なので、まだ真理は保っているんです一応(笑)
さて次に起こったのが「観測精度の向上」ですね。この時代は基本的には目視で望遠鏡は使っていません。ただ、星を観測する専用の道具ができたことで、観測の質が向上するんですね。
するとまたしても「あれ?式と実際が合わなくない?」ってなってくるんですよ(笑)
じゃあ、またしもて改良するかっていうので、次は「エカント点」っていうのを取り入れたんですね。これはざっくりいうと星の動きを決める点なんですね。この点は円軌道の中心とはちょっと外れているっていうものなんですよ。
さらに、地球の中心も円軌道の中心からはずらすってことをやっていて、このときの天動説は「宇宙の中心は地球かよくわからないし、地球の周りを円軌道で星は周ってはいない」っていうニュアンスですね。なので、真理とはかけ離れちゃってんですよ。
ただ、実際の観測とはかなり精度良く合うですね。
この時代、天文学っていうのがめちゃめちゃ大切で、占いや医学、政治にも使われていたんですね。だから、正確に星の位置を予測することが本当に大事で、それを担っていたのが天動説です。
この天動説は計算はめっちゃ複雑だったんですが、信頼性も高く、これが疑われることなんて考えられたかったほどすごい説だったんですよ
地動説とは
地動説は太陽中心説と言われいていて「太陽の周りを星が周っている」っていう説ですね。
この説もいろいろとバージョンアップがされていて、コペルニクスの時代は一番始めのバージョンですね。で、その後ケプラーやガリレオ・ガリレイがバージョンアップをしています。
実は地動説を唱えたのはコペルニクスが初めてではなく、意外といたそうです。有名所では紀元前5 - 4世紀前後のフィロラオスで、彼は宇宙の中心は「火」があると考えた人なんですね。なので一番光っている太陽を真ん中にして考えたんです。これは考えのみの話だったので、全然注目されていないんです(笑)まぁそんな人はいっぱいいたんだと思います。
紀元前3世紀に傑物がでてきます。その名は「アリスタルコス」。彼は「太陽が中心にあり、地球は自転していて、5つの惑星は太陽を公転する」という説を唱えたんですって。これは逆行を説明するために考えられたもので、結構しっかしりていたようです。そこから天動説中心の考えになって、コペルニクスが出てくるまでの1800年間無視されたっていう人物です。
今では地動説が常識になり、次は太陽系も動いている、さらに螺旋状にくるくるしながら動いているって言う具合にどんどんバージョンが更新されています。
コペルニクスは何がすごかったのか
コペルニクスは地動説を唱えるっていう天文学史上最大の貢献を人なんですが、「ふ〜〜ん」って思っている人がめっちゃ多いんですよ!「まぁそらそうだよね」とか「間違いを正したんだね〜」とか「地球動いているの当たり前だよえ〜」とか、あしらわれることが多いんです。教科書でも2行くらいですよ。
しかし
私はこれがめちゃめちゃすごいんだってことを伝えたい!ということで何がすごかったのか私なりの解釈で説明します。
簡単にいうと「常識に疑問を持ち、命をかけてまで自分の信念を貫き、かつそれが正解だった」っていうのがすごいところなんですね。
まずは常識を疑えるっていうのが本当にすごいんです。計算の精度でいうと、天動説のほうが圧倒的にすぐれていたんですね。さらに、天動説は神の教えてとも一致していると。つまり、感覚的にも、科学的にも天動説のほうが優れていたんですね。なので、地動説の良さってほっとんどなかったんですよね。それでもコペルニクスは自分の考えを信じぬいたんですよ。
さらに、この時代は教えと違うことを言ったら「異端ですね♫はい。死刑です♫」っていう時代なんですね。
なので、地動説を唱えること事態命がけなんですよ。事実コペルニクスの後に出てくるブルーノっていう人は火刑に処されたんですよね。
じゃあ、コペルニクスはなぜ地動説を唱えたのか?それは動画を見てください!
コペルニクスの死後がやばい
コペルニクスはどこに埋葬されたのかよくわかっていなかったそうで、お墓の場所を各国の学者たちがによって200年にわたって捜索していたらしい。
そして、シュチェチン大学などのチームがフロムボルクの大聖堂(コペルニクスがよくいた地域)に当たりをつけて2004年から発掘を進めると、2005年夏に大聖堂の約2メートルの深さの場所から遺骨を発見したんですって!
で、遺骨なんではじめはコペルニクスっていうのがわからなくて、
- 肖像画と頭蓋骨が互いに非常に似ている。
- 時代と年齢もほぼ一致している。
っていう理由から遺骨がコペルニクスのものである可能性が高そうという判断をしたらしい。
で、2008年11月、シュチェチン大学とスウェーデンのウプサラ大学が共同で、この遺骨とコペルニクスの髪の毛(※1)とをDNA鑑定して、なんと一致したと!
これによりこの遺骨がコペルニクスのものと最終的に認定されたっていうエピソード。で、今はオルシュティンの聖ヤコブ大聖堂できちんと埋葬されいるそうです!
※1 ウプサラ大学で4世紀以上も保管されていたコペルニクスのものとされる本に挟まっていた2本の毛髪