三菱重工①|三菱グループとは
概要
三菱重工は明治時代から三菱グループの中核企業として、日本の国力支援と国の発展に大きく貢献してきた企業です。
2022年度の売上高は約4兆2000億円、従業員数は約7万7000名に達しており、その本社は東京丸の内に位置しています。
創業家である岩崎家の歴史は、初代岩崎彌太郎から始まり、四代目まで続いてきましたが、戦後の財閥解体により経営の第一線からは退いています。それでも三菱グループは、4000社以上の企業、87万人以上の従業員、432兆円を超える資産を持つ巨大なネットワークを形成しています。
三菱グループのすごさは27社が集まる「金曜会」に象徴され、その結束力と学問や美術品への貢献でも知られています。また、三菱を支える理念として、「所期奉公」「処事光明」「立業貿易」の三綱領が掲げられており、これらは経済価値、社会価値、環境価値を大切にする企業活動の基盤となっています。
ちなみに、三菱鉛筆は三菱グループとは全く関係のない別の企業で、偶然にも名前とロゴが似ているだけです。詳しくはこちら
参考サイト
- 三菱グループサイト:https://www.mitsubishi.com/ja/
- 三菱重工:https://www.mhi.com/jp
- 東洋経済:三菱財閥の記事一覧
- Wiki:三菱財閥
創業家
- 岩崎彌太郎(やたろう):創業者(天保5年|1835年生まれ)
- 岩崎彌次郎(やじろう):彌太郎の父|甲斐武田氏の末裔 小野 美和:彌太郎の母|医師の娘
- 岩崎彌之助(やのすけ):彌太郎の弟(2代目)
- 岩崎 早苗子:彌之助の妻。後藤象二郎の娘
- 岩崎 久彌(ひさや):彌太郎の子(3代目)
- 岩崎小彌太(こやた):彌之助の子(4代目)
岩崎彌太郎
岩崎彌之助
岩崎 久彌
岩崎小彌太
*出所:国立国会図書館
三菱財閥と重工の誕生
岩崎彌太郎は1985年、土佐国安芸郡に生まれました。幼少期から学問に励み、吉田東洋が開いた塾に通うことでその知識を深めました。後に、彌太郎は後藤象二郎の弟子となり、彼の影響を受けて土佐藩での役割を拡大していきました。
その後、彌太郎は土佐藩の開成館長崎商会の窓口となり、この経験を通じて商業の基盤を築いていきました。彼は坂本龍馬とも交流があり、いろは丸事件での賠償金を受け取るなど、歴史的な事件にも関わりました。
やがて、彌太郎は土佐藩の九十九商会を受け継ぎ、その経営に携わるようになります。これを機に、彼は国から台湾出兵の物資輸送の仕事を請け負い、政府との強固な関係を築きました。この関係を活かし、彌太郎は海運業で大きな成功を収め、さらに鉱山業、造船業、為替業務、保険業務といった多角的な事業展開を進めていきました。これが三菱グループの基礎となっていきます。
しかし、時代の流れと共に反三菱財閥勢力の共同運輸が海運事業に進出してきます。運賃の値下げ競争が激化する中、政府から長崎造船局を借り受け長崎造船所を作ります。これが後の三菱重工の誕生へとつながります。そんな中彌太郎が他界。弟の彌之助が三菱を引っ張ることになります。共同運輸との争いの結果、三菱は共同運輸と合併することを決断。実質的に三菱が負けたことになります。これにより三菱は海運業という大きな商いを失い三菱は解体された形になります。
そんな中、彌之助が奮闘、戦争の時代には造船業が大いに繁栄し、三菱重工は空前の利益を上げました。また、政府から東京・丸の内周辺の土地を買い取り、事業のさらなる拡大を図りました。
しかし、戦後の財閥解体の波により、三菱重工は三つの会社に分割され、「三菱」を名乗ることができなくなります。それでも、その後の規制緩和により、再び統合が進められ、新たに「三菱重工業」として再出発を果たし、新生三菱重工が誕生しました。この再生は、過去の栄光を取り戻しつつ、未来に向けたさらなる成長を目指す新たな一歩を示しています。
三菱グループの概要
- グループ企業4,000社以上、87万人以上
- 保有資産432兆円(国の資産の6割以上)
- 商社、銀行、重工業、保険、電機、自動車、石油、素材などあらゆる分野
- 御三家(三菱UFJ銀行,三菱重工,三菱商事)
三菱の名前が入っている企業(三菱鉛筆除く)
- 三菱化工機
- 三菱ガス化学
- 三菱ケミカルグループ
- 三菱地所
- 三菱自動車工業
- 三菱重工業
- 三菱商事
- 三菱製鋼
- 三菱製紙
- 三菱倉庫
- 三菱総合研究所
- 三菱電機
- 三菱ふそうトラック・バス
- 三菱マテリアル
- 三菱UFJ証券ホールディングス
- 三菱UFJ信託銀行
- 三菱UFJフィナンシャル・グループ/三菱UFJ銀行
その他のグループ企業
- 三菱の名前が入っている企業
- 日本郵船
- ニコン
- ENEOS
- 小岩井農場
- キリン
- 東京海上日動
- AGC
- 明治安田生命保険
グループ一覧はこちら
三菱グループのトリビア
三菱のトップ27社が集まる金曜会
三菱グループの中核企業27社のトップが集まり、定期的に情報交換や戦略の共有を行う「金曜会」は、グループの結束力と協力関係を象徴する重要な会合です。
東京丸の内は三菱ムラと言われている
東京丸の内は三菱グループの主要企業が集中する地域であり、その影響力の大きさから「三菱ムラ」と称されています。
学問に貢献(成蹊学園、東京海洋大学)
三菱は、教育分野にも多大な貢献をしており、成蹊学園や東京海洋大学の支援を通じて学問の発展に寄与しています。
慶應義塾大学と深い交流があった
三菱グループは、福沢諭吉とも長い間深い交流を持ち、学術や研究の面でも強い結びつきを保ってきました。
美術品や歴史資料の収集でも有名で国宝も保有
美術品や歴史的資料の収集にも力を入れており、国宝に指定された貴重な文化財も多数保有しています。
三菱を支える三綱領
独立した企業の集まりである三菱グループを束ねる第四代社長岩崎小彌太が作った三菱の理念
経済価値、社会価値、環境価値を大切にせよということを3つにまとめています。
- 所期奉公:地球環境の維持にも貢献
- 処事光明:品格を持ち活動の公開、透明性を堅持
- 立業貿易:世界,宇宙的視野に立脚した事業展開