前編|ロケットの開発史|フォン・ブラウンとコロリョフ
概要
ロケットの開発史は、衛星産業やインフラ、旅行、移動手段の重要な基盤を支えるものであり、宇宙に到達する唯一の方法としての役割を担っています。この発表資料は、ロケット開発の歴史とそれに関連する競争についてまとめています。
ロケット開発は、第二次世界大戦中にドイツが開発したV2ロケットから始まりました。この技術が戦後、アメリカとソ連に流出し、それぞれの国で宇宙開発競争が本格化しました。特に、アメリカのヴェルナー・フォン・ブラウンとソ連のセルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフという二人の天才的な技術者がその中心となり、両国は互いに先んじようと激しい競争を繰り広げました。
ソ連が1957年に打ち上げた人工衛星スプートニク1号を皮切りに、宇宙開発競争は「スプートニクショック」として知られる事態に発展し、アメリカも迅速に対応しました。以降、人工衛星の打ち上げ、動物や人間の宇宙飛行、月面撮影、無人探査機の月面着陸、ドッキングなど、宇宙開発は次々と新たなステージに進みました。
最終的に、アメリカは1969年にアポロ11号による月面着陸を成功させ、宇宙開発競争において大きな節目を迎えました。この時点で、アメリカとソ連の宇宙開発競争はひとつの大きな到達点に達しましたが、宇宙技術の進展はそれ以降も続き、現代の宇宙産業の基盤を築くこととなりました。
SF小説:ジュール・ベルヌ(フランス人)
理論:ツィオルコフスキー(ロシア人)
実験:ゴダード(アメリカ人)
量産:フォン・ブラウン(ドイツ人)
■フォン・ブラウン
ドイツのロケット研究者。
V2ロケットの量産など、ロケットの基礎技術を確立。
第2次世界大戦後アメリカにうつる。
その後、アメリカのロケット開発の責任者としてアポロ計画を成し遂げる。
■セルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフ
ロシアのロケット研究者でフォン・ブラウンのライバル。
ロシア初の液体燃料ロケットに成功。
31歳のときに反政府団体と関係があると噂され捕まる。
8年間シベリアで強制労働。
戻ったあとはロケット開発の責任者としてフォン・ブラウンを苦しめる。
存在そのものが機密扱いであったため、死後にはじめて存在が公になる。